●2● JISSEN NEWS 2005.秋 No.149


古川清行氏のプロフィール


 1948(昭和23)長野市生まれ。東京理科大学卒業後,1972(昭和47)年に宮入清宗師に入門、1978(昭和53)年作刀承認。同年第14回新作名刀展に初出品。1981(昭和56)年に独立、現在は須坂市で活躍中現在に至るまで連続入賞。これまでに数々の賞を受賞。

日本刀の歴史

 長野県は歴史的に有名な武将を輩出し、数多くの城下町があります。このような歴史的な環境が日本文化であり、日本刀を根付かせたのかもしれません。
 以下、古川氏の講演から抜粋しますと「聖徳太子時代の日本刀は真っ直ぐの直刀といい日本刀とはいいません。反りが付いて初めて日本刀というようになるらしいです。刀の種類には、直刀、太刀、刀、脇差し、短刀があります。侍は大小差していたというのはだいたい桃山から江戸時代以降の話です。それ以前の武士は太刀を腰からぶら下げていました。刀っていうものは本来武器でした。しかし、武器の中に見所というものを日本人は見つけました。姿にしろ、刃文にしろ、鍛え目の出ている地金にしろ、刀って美しいもんだなと発見しました。その刀を実用品としてだけではなくて、美術品として、あるいは信仰の対象というような形で、御神刀というようなそういう感覚ですら捉えるようになりました。実用品としての刀だったら今は全然必要ありません。日本刀が実は美術品として、あるいは心のよりどころとして求められうる存在であったということにおいて、800年以上の生命を保てたのではないかなというふうにも思います。


日本刀の製作工程

 今回の講演では、めったに知ることのできない古来からの製法工程を明らかにしていただきました。玉鋼というのはたたら製鉄でできる一番いい素材を取ったものが玉鋼といいます。炭素量が不均一な玉鋼を水減しという作業で選別します。こうして選別された玉鋼を折り返し鍛錬します。これが日本刀の表面となります。これに炭素量の低い芯鉄を挟み延ばし刀の形にします。焼き鈍しして組織を均一化します。その後曲がりを修正、センスキ(黒皮を削り肉落ちを整える)し、焼き刃土を塗り、焼入れをします。この最後の工程が刀鍛冶そのものの特質が表れるところであると古川氏は言われました。
 刀鍛冶の世界は徒弟制度です。一子相伝で代々刀鍛冶の家を継いでいき、またその家系へ弟子として何年か習い独立するシステムが昔からありました。現在でも刀鍛冶になるためには、最低5年間刀鍛冶の師匠で修業することが文化庁で義務付けられているとのことです。徒弟制度は良きにつけ悪しきにつけ師の志を受け継いでいくことと語っておられました。

(青森職業能力開発短期大学校 成田敏明)